|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 初 : [はつ] 1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new ・ 初代 : [しょだい] 【名詞】 1. first generation 2. founder ・ 代 : [よ, しろ] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 侯 : [こう] 1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo
初代ウォートン侯トマス・ウォートン(Thomas Wharton, 1st Marquess of Wharton, PC, 1648年8月 - 1715年4月12日)は、イギリスの貴族・政治家。第4代ウォートン男爵フィリップ・ウォートンと2番目の妻ジェーン・グッドウィンの息子。 1673年にバッキンガムシャーから下院議員に選出、ホイッグ党に属してイングランド王チャールズ2世の政権を批判して王位排除法案に賛成、続くジェームズ2世のカトリック重視の姿勢も非難、1688年に名誉革命が起こるとジェームズ2世から離反してエクセターでオランダ軍に投降した。 翌1689年に即位したウィリアム3世・メアリー2世夫妻に忠誠を誓い王室会計監査官に任命され、1694年にホイッグ党政権が発足するとジャントーと呼ばれるグループの一員として政権に加わり、1696年に死去した父の爵位を継いで第5代ウォートン男爵になって上院に移ったが、1702年にウィリアム3世が亡くなりアンが即位すると王室会計監査官を罷免、オックスフォードシャーとバッキンガムシャーの統監及びウェストモーランドとバッキンガムシャーの治安判事も解任され政権から遠ざけられた〔『イギリス革命史』P72、P200、P230、『スペイン継承戦争』P52 - P53。〕。 解任後は下野してトーリー党と政争を繰り広げ、1705年から政権がホイッグ党に歩み寄ると政権擁護に回りトーリー党を演説で非難、翌1706年にイングランドとスコットランドの合同交渉に加わり伯爵に叙され、1708年に再びホイッグ党政権が立ち上がるとアイルランド総督に任命された。しかし、1710年にトーリー党が与党になると辞任して再度下野、1714年にアンが死去してジョージ1世が即位すると王璽尚書に選ばれ、翌1715年に侯爵に昇格、アイルランド貴族としてキャザーラフ侯爵にも叙されたが同年に死去、息子のフィリップ・ウォートンが爵位を継いだ〔『スペイン継承戦争』P146 - P153、P188、P246、P288、P387 - P390。〕。 ジェームズ2世の治世ではカトリックへの批判を詩に込めて1686年に「リリバレロ」という詩を作りカトリックを風刺した。この詩は音楽家ヘンリー・パーセルが作曲を手がけ、名誉革命でオランダ軍支持者の間で広まり一般にも流行、現在のイギリスでも使用されている〔『イギリス革命史』P45、『英米史辞典』P420。〕。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トマス・ウォートン (初代ウォートン侯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|